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POISON GIRL BAND さん

ポイズンガールバンド

吉本興業所属のお笑い芸人[POISON GIRL BAND]阿部智則/吉田大吾の動画や情報を紹介。

POISON GIRL BAND


太った 解散
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POISON GIRL BAND メンバー

阿部智則

よみがな:あべとものり
本名:阿部智則
生年月日:1979年8月29日
血液型:A型

吉田大吾

よみがな:よしだだいご
本名:吉田大吾
生年月日:1979年4月4日
血液型:O型

Blog

吉田大吾 note

  • 野球をやめた話⑨
    on 2023年11月22日 at 18:48

    小学校での野球が終わった僕らは、中学でも野球を続ける気満々だった。ところが、僕らが進学する中学校には野球部がなかった。これが本当にマジでマジで運命の分かれ目だったと思う。中学校に野球部があったら、僕は野球をやめることなく(最低でも高校3年間までは)芸人にもなっていなかったんじゃないかと考えている。中学校に野球部がなかったのは、多分だけど危ないからだと思う。僕らが中学校に上がる数年前くらいまでは全国的に校内暴力の全盛期だったみたいだし、思春期の男の子に金属バットは持たせられなかったんだろう…。思えば、近くの中学校にも野球部があるという話はあまり聞かなかった。実際はどうだったんだろう。(ちなみに、中学校を卒業して数年後に野球部ができたっぽい。マジであと数年早く作ってくれてたら…。)ということで、中学校に野球部がないから僕らはクラブチームに入部した。このクラブチームは、僕らの地元から自転車で3.40分くらいのところにあるグラウンドで練習していて、小学校の野球部の先輩方もみんなこのチームに入っていた。クラブチームに入った僕らは日曜の朝に通っていた小学校の前で待ち合わせして、自転車で練習に向かう日々になった。クラブチームに入って最初の頃の練習は、1.2年先輩とのレベルの違いに愕然とした。そもそも、ボールが少し大きくなったし、変化球もありだし、単純に先輩たちの身体がでかかった。身長ではなく肉体的な厚みみたいなものに圧倒された。さらに、練習の質も小学校の頃とは比べものにならないくらい、しんどくて実践的なものだった。小学校の野球部の練習がいかにお遊びだったのかと痛感した。それでも、別に野球自体は下手ではない僕らなのでヒーヒー言いながらも練習にはなんとかついていっていた。ただ、なんか楽しくなかった。システマチックな練習というか、だんだん自分が野球マシンにされていくような感覚があった。そして、このチームのコーチが元甲子園球児(しかも名門校の四番キャッチャー)という凄い人で、このコーチの練習メニューがめちゃくちゃ辛かった。このコーチは練習に来ないこともあり、そんな日は僕らは口に出さずともニヤニヤしながら「今日、あいつ来てないな」と目で会話していた。そんな時に原付の音が聞こえてくると、僕らは一気に青ざめた。コーチが乗っている原付の音だからだ。原付の音が聞こえてきたときの僕らの絶望ったらなかった。今日も地獄が始まる…と覚悟した。余談だけど、このコーチは夏の合宿に彼女同伴で来やがって、早朝からこの彼女のエアロビクスに全員が付き合わされた。(中学生男子相手に蛍光色のレオタードで全力で踊る彼女も変わり者だよ。彼氏が教えてる中学野球の合宿に来るなよ。あの2人、結婚したのかなぁ。)さらに余談だけど、この合宿でユウジ(小学校の5年の時に転校してきて中学から僕らに混じって野球を始めた奴。幼馴染の中で1.2を争うイケメン。)は、このコーチにやる気がないと思われたのか「帰れ!」と言われて、本当に帰るそぶりを見せて僕らを慌てさせた。合宿地は栃木だったから、地元荻窪までどうやって帰ろうとしたんだよ…。続きをみる

  • 猫の話
    on 2023年11月20日 at 13:44

    数年前から猫を飼い始めました。2020年だったかな?元々は奥さんが働いているお店に遊びに来ていた子猫なんですが、ある日突然ボロボロの姿で現れたそうです。痩せ細り耳はケガをしていて、やっとの思いで店にたどり着いたみたいで。慌てて保護して病院に連れていったら、先生に「処置はしますけど、その後の面倒はちゃんと責任持てるんですか?」と言われて「それなら我が家に迎えよう」ということになりました。うちに来てからは少々お転婆ではありますが、全く手のかからない子です。何も教えていないのにトイレは猫砂の場所でするし、爪研ぎも所定の場所でしかしないし。よく聞いていた「猫のせいで家具も壁紙もボロボロ」なんてことは全くないです。初めて数時間の留守番をさせたときは「帰ったら家の中がめちゃくちゃなんだろうな」と覚悟しましたが、帰ってきたら家はそのままでおとなしく寝ていました。よくできた子です。ちなみに、僕にはまったく懐いていません。猫を飼い始めてからは街中で地域猫を見かけると、とても心が苦しくなります。食べるものはあるんだろうか?安全な場所で寝ているだろうか?友達はいるだろうか?うちの猫はたまたま縁があって我が家にやってきましたが、他の猫たちは外の世界で生き抜いていかなくてはいけないのか…と。日に日に寒くなっていく中で、強く逞しくも楽しくすごしていてほしいと切に願います。続きをみる

  • 野球をやめた話⑧
    on 2023年11月7日 at 15:00

    イーグルスに奇跡的に勝った僕らは、その後の決勝戦でモモイチにちゃんと負けた。スラムダンクで湘北が王者山王に勝った次の試合で「嘘のようにボロ負けした…」みたいな流れだ。ボロ負けだったかは定かではないけど、しっかりと力負けした。文句なしのホームランも打たれた。(これまでにランニングホームランは打たれたことはあったけど、生まれて初めて柵越えの正真正銘のホームランを打たれた。だから「悔しい」というより「小学生ってホームラン打つの!?」としか思わなかった。)僕はチャンスで高めの真っ直ぐを空振り三振した。狙っていた高さにきたけど、思っていた以上の速さの球だった。モモイチは小学校の間、ずっと強かった。僕らもめちゃくちゃ頑張っていたけど、笑っちゃうくらいに実力差は埋まっていなかった。小2くらいで初めて目にしたモモイチは身体が大きくて統制も取れていて、なんていうか『野球マシン』みたいな雰囲気を感じていた。「こいつら、野球をするためだけに作られた人造人間なんじゃないか?」と思ったこともある。でも、そんなモモイチもちゃんと小学生なんだなと思ったことが最後にあった。小6のどのタイミングだったか、僕らとモモイチの2チームが杉並代表に選ばれて、中野区・新宿区・練馬区、とか近辺の区の代表チームと戦う大会に出場した。そこで、僕らの試合中に次の登場で控えていたモモイチが観戦していた。僕は「偵察か?どこまで野球マシンなんだよ」と思いながら投げていたんだけど、モモイチの連中から「ピッチャー、楽に!」とか「ナイスボール!」とか、僕を応援する声が聞こえてきた。同じ杉並代表を応援してくれる気持ちが凄く嬉しかった。「なんだよ、本当は血の通ったいい奴らなんじゃねえか」と、泣きそうになった。ちなみに、この試合はあっさり負けた。お察しの通り、僕がストライクを取るのに苦労したからだ。コントロールが悪いのは最後まで修正できなかった。そんなこんなで、僕の小学校での野球は終わった。ということで、番外編じゃないけど…。小6の最後の最後に引退試合的な試合があった。ここで、僕らは監督コーチに「今までと違うポジションでやりたい」と伝えた。監督コーチは「相手に失礼じゃないか…」と少し考えながらも、OKしてくれた。この試合、僕はずっと興味があったキャッチャーをやった。ピッチャーは、ずっとファーストを守っていた4番のオサム。そして、この日のキャッチャーがとても楽しかった。オサムは僕よりコントロールもいいし、ストライクも入るからすいすいと相手を抑えていった。僕は肩に自信があったので、一塁ランナーが盗塁してくれることを待っていた。小学生の野球なんて二盗はほぼほぼセーフなんだけど「俺は刺せるけどな」と虎視眈々と狙っていた。結局、その機会はこなかったけど。ぶっちゃけ、僕らのポジションの正解はこれだったんじゃないか?と今でも思っている。もしも、小学校の野球をキャッチャーとしてすごしていたら、自分はどんな人間になっていたんだろうかと考える。今みたいに、わがまま・自分勝手・マイペース・孤独好きの寂しがり屋、にはなっていなかったんだろうか?今でも一緒に草野球をやる天竺鼠・瀬下、鬼越・金ちゃん、コロチキ・西野はキャッチャーだったみたいだ。そして、3人とも包容力があり、変わり者の相方と組んでいる。なんていうか、受け止める力がすごい。僕には全くない能力を持っている。僕もキャッチャーだったら、そんな人間になれていたのか?もし、そうだったら芸人にはなっていなかったのかもしれないけど。人生は面白い、だいぶしんどいけど。『野球をやめた話』とかたいそうなタイトルをつけたくせに、たった8話で小学校編の最終回です。ひとえに、僕の記憶力の無さと文章力の無さが仇となりました。これでも、書きながら「あんなこともあったな」と思い出したことも多かったんですよ。続きをみる

  • 野球をやめた話⑦
    on 2023年11月2日 at 14:06

    僕らのライバルチーム的な位置付けだったイーグルスとは、実は対戦した記憶は一度しかない。もしかしたら、小学校低学年の時に対戦していたのかもだけど…。それなのに、なんでライバルチームと思っていたのかというと、イーグルスの練習場所が僕らの小学校の目と鼻の先にある公園だったのと、2.3個上のお兄さんたちがイーグルスに負けたのを見た記憶があるからだと思っている。そんなことから、なんとなく「打倒イーグルス!」みたいな思いが僕の中にはあった。他のみんなはどうだったのか分からないけど。そして、そんなイーグルスと対戦する機会がやってきた。僕らは最終学年の6年生になっていた。杉並区の大会で準決勝まで勝ち進み、その相手がイーグルスだった。イーグルスは白地に文字が緑色で「杉並」とか「Eagles」とか刺繍されたユニフォームで、ぶっちゃけ僕は自分のチームのユニフォームよりイーグルスのユニフォームの方がカッコいいと思っていた。ちなみに、僕らのチームは白地に赤やオレンジで西田小学校の「Nishita」の文字が入っていた気がする。どちらかというと、強そうより可愛らしいユニフォームだった。イーグルスとおそらく初めての対戦は、勝てば杉並区の決勝に進める大一番。この試合の内容を1回から最終回までスリリングに書いていけたらいいんだけど、ほとんど覚えていない。こういうの、覚えている人っているんだろうか?なので、最後の方の今でも鮮明に覚えている場面だけを書いていく。いきなり試合終盤で申し訳ないが、僕らは1−6で負けていた。そして、残り1イニング。ほぼほぼ負けが確定した試合の僕らの最後の攻撃は信じられないくらいに打線が繋がって、連打々々でどんどん点差をつめていった。そして、残り1点差まで詰め寄ったところで僕の前のバッター。(ごめん!誰だったか覚えてない!これを読んでいる同級生で「俺だよ!」って人いたら連絡して!)打てば同点か逆転の場面。しかし、2アウトなので凡退すればそのまま試合終了。僕はネクストバッターズサークルで戦況を見つめていた。涙を堪えながら。この日の自分のピッチング内容をそんなに覚えていないけど、6点取られたのは明らかにピッチャーの自分の責任。負けたらこのメンバーで野球ができるのは今日が最後かもしれない。そんな思いから、自分の不甲斐なさと最終回に追い上げる仲間の頼もしさに泣くのを堪えるのに必死だった。そして、僕がネクストバッターズサークルから見た光景は、まさかの逆転タイムリーヒットだった。(ごめん!マジで打ったの誰!?こんなボヤけたクライマックスの読み物ある!?)その瞬間、僕はもう泣いていた。まだ自分の打席があるのに、裏の回の守備があるのに。ちなみに、個人的にこの場面はあの有名な『スラムダンク』の名場面、山王戦で三井寿がスリーポイントシュートを決めてベンチの選手が泣きながら「湖北に入ってよかった…」と言ったシーンと重なる。まさに、「こいつらと野球やれてよかった」の心境。僕は泣きながら打席に向かい、打てば点差を広げて勝利がもっと近づく場面で簡単にアウトになった。しょうがない、涙でボールが見えてないんだから。そのままチェンジになり、最終回の守備へ。僕はまだ泣きながらマウンドへ。涙でキャッチャーが見えないから、5球の投球練習は全て暴投。監督やコーチはマジで焦ったと思う。相手ベンチからは「ピッチャー泣いてる…」という声が聞こえてきた。そして、最終回。0点に抑えれば大逆転勝利。泣きながら投げた僕のボールはほぼほぼストライク投球で、3人のバッターを全て平凡な外野フライに打ち取った。僕らはまるで優勝したかのように喜んだ。続きをみる

  • 5kg減量した話
    on 2023年10月20日 at 14:32

    『POISON GIRL BAND 20231016』というライブのために減量しました。別に誰かに言われたわけでもないんですけど。会場がとても素敵なライブハウスというのと、ライブの構成が「ロックバンドのライブテイスト」というものだったので痩せて出た方がカッコいいなと思っただけです。買ったまま履けていなかった細身の黒パンツも履いてあげたいし…とか、様々な理由もありました。減量はライブの一ヶ月前、9/16から始めようと決めてたんですが、その日の無限大ドームの仕事終わりにグランジ大に見つかって「いきますか!」と無理矢理に飲みに連れていかれました。ここで「減量中だから」と断ってしまうと友達がいなくなってしまうので、「今日からダイエットだったのに」と悪態をついて飲みにいきました。大が教えてくれたとても良い渋谷の居酒屋で15時くらいからダラダラと飲みながら話しながらボートレースしながらの不毛な時間でした。ということで、気を取り直して9/17から減量開始です。といっても、内容は断酒と糖質制限のみです。で、この時点では自分でも「何日できるかな…挫折するだろうな…」と考えていました。実際、最初の2日間がしんどかったです。これは、今までに何度かやった断食で経験しているので想定内でしたけど。断食の時も最初の36時間くらいがめちゃくちゃ辛いです。ただ、そこを乗り越えると「あれ?このまま何も食べなくてもいけんじゃね?」となります。個人的にはこの期間で胃が小さくなるんだろなと思っています。一旦、胃が縮んでしまえばあとは余裕でした。何か食べてもすぐにお腹いっぱいになるので、必然的に食べる量は減っていきました。さらに、とにかく歩くって決めていたので無駄に散歩もしました。あと、毎朝体重を計ることにしたので減っていく数値にも勇気をもらいました。(実際は5日ほど停滞期があって辛かったですが)続きをみる

  • 野球をやめた話⑥
    on 2023年10月19日 at 17:12

    小学校5年生になってからの僕たちは、杉並区でもそこそこ強いチームになっていたと思う。最強は相変わらず「モモイチ」だったけど、僕らのチームも杉並区では5本の指に入る強さだったんじゃないだろうか。といっても、僕の調子が良くストライクが入ればの話だけど。自分でもストライクさえ入れば、そんなに打たれないと思っていた。球の速さとキレには自信があったからだ。「モモイチ」以外のライバルチームは、以前にも触れた「イーグルス」。他に「クリッパーズ」というチームもあった。ここは、身体は小さいのに元気で声の大きい俊敏なキャッチャーと頭脳派のピッチャーがいた。どんな感じの頭脳派かと言うと、この時代にいわゆる『チェンジアップ』を投げてくるピッチャーだった。僕らが所属していたリーグは変化球禁止(おそらく、成長期の子供の肩や肘を守る目的)だったんだけど、チェンジアップは球速を変えるだけなので肩肘に負担がかからないから変化球扱いではなかった。この、クリッパーズのピッチャーはチェンジアップ(スローボール)を織り交ぜてくるからやっかいだった。ピッチャーのストレートにタイミングを合わせていたら、スローボールが来る。僕らはそのボールを打ち損じてアウト。なかなか、手強かった。このクリッパーズとは、戦績も五分五分だったような記憶。ただ、監督やコーチはどこでチェンジアップが来るか分かっていたらしく、ベンチでは「来るぞ…」と言っていた。今思うと、あのピッチャーには大人の目からはバレバレのクセがあったんだと思う。そんなクセにも気づかずに馬鹿正直にストレートを待って凡打を繰り返す僕らに、コーチたちは「あれを待つのも一つの手だぞ」と言ってきた。たしかに、遅いボールは打ちやすい。だけど、こないかもしれない遅いボールだけを待ってストレートが3球きたら三振…。そんな割り切った考えを持てる僕らではなかった。ただ、四番のオサムだけは違った。オサムはこのボールだけを待って、きたら確実に仕留めていた。のちに野球中継を観ていて、解説者が「狙ったボールだけを待って、きたら1球で仕留める。これができるのが四番なんですよ。」と言っていた。アナウンサーに「もし、待っているボールが来なかったら?」と聞かれ「その時はしょうがないと諦めるんです」と答えていたのが印象に残っている。この考え方って、野球以外でもたまにぶつかるなと思っている。『二兎を追う者は一兎をも得ず』みたいな。「これ!」と決めたら、覚悟を決めるみたいな。ちなみに、僕は今でもこの考え方ができないでいる。考え方ができないというか、こういう覚悟を決められないダサい人間だ。「あっちがきたらどうしよう…。ああなったらどうしよう…。」そんな迷いを抱えながら生きている。ちなみに、オサムは麻雀も強かった。手相もマスカケ線ってやつで、持って生まれた勝負強さってあるんだなと感じた。この頃(小学校5.6年)には人数も15人ほどに絞られてきて、ポジションも固定されてきて、杉並区でも普通に強い方のチームになっていたからただただ楽しかった。最近、この頃のみんなと話していてそれぞれいろんな思いを抱えていたんだなと面白かった。僕はピッチャーだったから、ひたすら自分との闘い。外野だったやつは「俺はひたすらアタマムシ(頭の上を飛んでいる虫)との闘いだった」と言っていた。「アタマムシから逃げるために動いたら、逆の方に打球が飛んできて怒られた」と。みんな、それぞれ大変だったみたいだ。続きをみる

  • POISON GIRL BAND 20231016 一夜明けて
    on 2023年10月17日 at 21:24

    生まれ育った町『荻窪』にできた『The Top Beat Club』というライブハウスで『POISON GIRL BAND 20231016』というライブを開催させていただきました。どんなライブかと言いますと「◯月◯日のPOISON GIRL BAND」という形で、その名の通りその日限りのPOISON GIRL BANDをBAND形態で見せるライブです。何人かの漫才師さんにその日だけ加入してもらって、複数人での音楽的な漫才を見せられたらなと。そして、ライブハウスでオールスタンディングでやりたいなと…。ちなみに、ライブタイトルを『POISON GIRL BAND 20231016』に変えたのは、ドレスコーズがすでに『◯月◯日のドレスコーズ』というライブをやっていたからです(天才 志磨遼平さんと発想がかぶった!)。バンドメンバーは2丁拳銃さん・東京ダイナマイト松田さん・おしみんまるさん・そして、ポイズン吉田の5人です。バンドメンバーが決まり、1人で構成を考えました。単純に十数本の漫才を5人でやるだけだと、ただの漫才ライブだな…僕が書いた漫才を覚えてやってもらうだけでは、何の新鮮さもないな…ということで、せっかくなら全ての漫才をとあるアーティストの楽曲をモチーフにしようと思いつきました。結論から言うと、大好きなヒロトさん&マーシーさんの楽曲にしたんですが、ここはビートルズでもストーンズでもなんでも良かったんです。初回なので分かりやすく日本語の曲にしました。選曲も悩み出すとキリがないので、漫才に繋げやすいようなフレーズのあるものにしていきました。漫才も全て書くのではなく「この曲のこのフレーズをフリに、こういう方向のボケをしていく形です。最後は僕が締めます。」という決まりだけ。本読みの日、多少は「ちゃんと台本書けよ」と言われるかもと思っていましたが、全員が「なるほど」「オッケー」「じゃあ、このフリでボケを考えてきたらええのね」と全乗っかりしてくれました。さすが、30年近く芸人をやっている方々です。続きをみる

  • アルバイトの話
    on 2023年8月31日 at 13:01

    「野球をやめた話」だけでは更新頻度が落ちるので、アルバイトの話でも。アルバイト、もちろんしてましたよ。なんか、そういう苦労をしてない風に見られますけど。ただ、苦労してない感じに見られることは悪いことではないと思っているのでオッケーにしています。たまに「どうせ、お前はアルバイトとかしたことねえんだろ」みたいに言われると、そんなお坊ちゃまに見えるか?とは、なりますが。初めてのバイトは交通整理でした。高校3年生の時です。学校があったので夜勤でやってました。夜20時〜朝5時まで。日給がだいたい9000円くらいだったかな。道路工事している現場で車を誘導する仕事なんですが、たまに現場に早めにいって三角コーンを置いて路駐されないようにすることがあって、その場合は1000円ほど上乗せさせるので日給が一万円になることもありました。このバイトの良いところは雨が降ると途中で中止になったりするんです。それでも、日給は満額でもらえます。ただ、終電がある時間に中止になるとそのまま電車で帰って来られますが、終電が無くなってから中止になると始発まで時間を潰さないといけないんです。現場が近かったら歩いて帰れますが、遠いとこだと始発まで適当に駅の近辺で座っていました。一度、目黒の大鳥神社近辺が現場だったときに夜中の1時に終わったんです。迷った挙句、荻窪の家まで歩いて帰ることにしました。ちょうど今くらいの季節だったんですが、汗だくになりながら地図を見ながらコンビニで涼みながら、朝の5時くらいに着きました。始発まで待つのと同じくらいの到着時間でした。ちなみに、この交通整理のバイトでNSCの入学金?授業料?を全て貯めました。続きをみる

  • 野球をやめた話⑤
    on 2023年8月25日 at 17:01

    監督やコーチ、それぞれの親に支えられながら僕たちは徐々に野球の技術も上達していった。小学校の5年生になる頃には、30人弱いた同学年のメンバーも十数人になっていた。前にも書いたけどやめていった奴らの理由は『中学受験』か『始めてみたけど野球はそんなに好きじゃなかった』の、2パターンだった気がする。『中学受験』を理由にやめていった奴の寂しそうな顔は今でも覚えている。子どもにあんな顔をさせてまでも、親の望む人生を歩ませる意味なんてあるんだろうか。いや、今ではあの時に野球をやめたことを親に感謝している可能性もあるのか…。人生って難しい。5年生になって人数が絞られてくるとポジションも固定されてきて、競争相手がいないからか良くも悪くもみんなが自分のポジションのスペシャリストになっていった。僕はピッチャー…だったんだけど、一度だけコンバートされるかもしれない時があった。沖縄から転校してきたマタヨシくんという子がチームに入ってきた時だ。マタヨシくんは僕から見てもカッコいい投げ方をしていて、なんていうかちょっとメジャーリーガーっぽい雰囲気だった。監督コーチたちもマタヨシくんの登場に少し興奮している感じがあった。そこから、マタヨシくんにもピッチング練習をさせるようになり、僕と競わせる空気が出てきた。とはいえ、そもそも僕がやりたかったポジションはショート。ただ、この頃にはもうピッチャーとしてのプライドもあった。マタヨシくんに負けたくないけど、ピッチャーじゃなくなってもショートなら守りたいかも。そんな気持ちだった。だから、ノックの時にマタヨシくんがピッチャーのポジションに入った時は僕はショートに入って、コーチがセンター前に打つ打球を全て追いついて処理した。自分の守備範囲の広さと肩の強さをアピールしまくった。そのおかげか、次の試合ではマタヨシくんが先発で僕はスタメンショートになった。でも、複雑な気持ちだった。自分はストライクが入らないプレッシャーが嫌で、ピッチャーから逃げたんじゃないか…と思ったからだ。しかも、ショートだった奴が他のポジションに回されて、誰かがスタメンから外れた。今になって考えると、それがレギュラー争いだしスポーツなんてそんなもんだし、社会に出ても椅子取りゲーム的な要素はあると思える。だけど、その時はなんか自分が凄く嫌な人間になった気がした。ショートの位置からマウンドで投げるマタヨシくんを見て、自分はこのポジションを勝ち取ったんじゃなくて逃げてきたんだなと考えていた。マタヨシくんも僕と同じようにストライクを入れるのに苦労するタイプだったけど、それでもひたむきに投げ続けていた。それがとてもカッコよくて、めちゃくちゃ悔しかった。そこから、どういう流れがあったのかは忘れたけど、僕はちゃんとピッチャーに戻ってマタヨシくんと切磋琢磨していった。ただ、僕もマタヨシくんも負けん気が強いわけではなく、2人とも「俺がピッチャーだ!」なんて闘志はなかった。とりあえず頑張りますけど、あとは大人が決めてください的なスタンス。監督コーチからしたら、もどかしい2人だったかもしれない。そんなこんながありながら、結局は僕がピッチャーになってマタヨシくんはサードに落ち着いた。マタヨシくんのサードはとても華があった。不思議な色気もあった。あとで聞いた話だけど、マタヨシくんはこの頃から将来はセクシー男優になりたいと言っていたらしい。だから、色気があったのかは分からないけど。僕がピッチャーになった決め手は今でもよく分かっていない。勝ち取ったという自覚もない。もしかしたら、元々ピッチャーだったからみたいな大人の情で決めたのかもしれない。そして、この頃からピッチャーとしての技術以外にも精神論や『ピッチャーたるもの』みたいなことを言われ始めた気がする。覚えているのは「もっと、わがままになれ」「孤独に強くなれ」「チームメイトから嫌われるくらいでいい」とか。なんか、今ではこの3つの教えを守ったまま大人になってしまった気がする。『わがまま』と『(寂しがり屋だけど)孤独好き』は自覚がある。どちらかというと、人に好かれるタイプではない。これでプロ野球選手になれていたらよかったんだけど、『わがまま』で『人に好かれない』は芸人としては致命的だ。もはや、『孤独好き』も『人に好かれない』から手に入れた特殊能力な気がしてきた。何気ない大人の言葉って罪だ。別に怒っているわけではない、言葉って受け手によってどんな形にもなってしまうんだと思う。もっと、人の言葉を真正面から受け止めないふざけた人になりたかった。というわけで、5年生になってメンバーやポジションが固定されてきてからは杉並区での優勝を目指していくことになった。続きをみる

  • 野球をやめた話④
    on 2023年8月15日 at 18:43

    小学校3.4年生のころの野球はピッチャーというプレッシャー以外はただただ楽しいだけだった。元々、運動神経のいい奴らが集まっていたからか守備に関してはどんどん上達していって、ちゃんと『野球』になっていったからだと思う。投げて、打って、捕って、アウトにする。この基本的なことができるようになっただけで、野球が楽しくてしょうがなかった。そうなると「勝ちたい」「強くなりたい」という欲も出てくる。僕たちの地域ではモモイチという野球部がめちゃくちゃ強かった。というか、身体がでかかった。今でも野球部だった友達と会うと「あいつら、中学生だったんじゃね?」って話すくらいでかいチームだった。僕は一度、モモイチの奴にホームランを打たれたことがある。悔しいというより「小学生でもホームラン打つんだ」と思った。あとで聞いたら、チームメイトのみんながそう思っていたらしい。「大吾がホームラン打たれた」というより、「生でホームラン見た」という気持ちの方が強かったみたいだ。そんな、のんびりしたチームメイトだったのも僕は好きだった。僕の記憶がたしかであれば初めての対外試合。あの30点近く取られた試合の相手がモモイチだった気がする。そんなモモイチを倒すことが僕らの目標になった…わけではなかった。単純に「モモイチっていつも強えよなぁ」っていう存在だった。もう一つ、イーグルスというチームもあった。このチームは、ほとんどのチームが小学校の校庭で練習しているのに対して、近所の公園のグラウンドで練習しているチームだった。だから、ほとんどのチームが「〇〇小野球部」とか「(小学校の名前)ファイターズ」みたいな名前なのに、シンプルに杉並イーグルスだった。そして、このイーグルスは僕らの小学校の目と鼻の先にある公園のグラウンドで練習していた。だから僕は「なんでイーグルスの奴らは小学校の野球部に入らないんだろう?みなしごの集まりなのか?」と失礼なことを思っていた。そして、このイーグルスも強いチームだった。練習環境のせいからか、野武士軍団みたいな雰囲気があった。最近になって知ったんだけど、Hi-STANDARDの横山健さんはこのイーグルスに所属していたみたいだ。僕より10歳上だから、仮に僕がイーグルスに入っていてもかぶってはいないけど。あの、日本を代表するロックンロールスターがイーグルスにいたんだ…あそこで練習してたんだ…あのユニフォームを着てたんだ…というのは、ちょっとエモい。他にもいろんなチームがあったけど、特に印象に残っているのがこの2チームだ。続きをみる

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