POISON GIRL BAND さん
ポイズンガールバンド
吉本興業所属のお笑い芸人[POISON GIRL BAND]阿部智則/吉田大吾の動画や情報を紹介。
POISON GIRL BAND メンバー
阿部智則
よみがな:あべとものり
本名:阿部智則
生年月日:1979年8月29日
血液型:A型
吉田大吾
よみがな:よしだだいご
本名:吉田大吾
生年月日:1979年4月4日
血液型:O型
Blog
吉田大吾 note
- 年末年始の話on 2025年1月4日 at 12:33
年末はなんだかんだと飲酒の機会が多く、大晦日はお酒を抜こうと思い立ち家でひたすら水を飲んでいました。机に2ℓのペットボトルの水を置きながら年内にやっておきたい仕事を片付けつつ、ハイペースでトイレへ。そんな大晦日でした。年が明けて元日は毎年恒例の野性爆弾ロッシーさんたちと初詣。毎年恒例の豊川稲荷へ。お参り後はこれまた恒例の、敷地内にあるお店でおでんとビールで乾杯。初詣から昼過ぎに帰ってきて、自分で作ったお雑煮を食べて夕方にウトウトとうたた寝。起きて入浴してから布団へ入り就寝。2日は親族の家へご挨拶…の予定が、起きると「ん?あれ…足が痛いかも…」となりました。はい、初の痛風発症です。大晦日にお酒を抜いて、元日は缶ビールをいただいただけなのに。去年の健康診断で尿酸値がなかなかなスコアを叩き出しまして、痛風を発症していないのが不思議なくらいの数値らしく。騙し騙し年末まできていたのですが、まさかのタイミングでの発症でした。ただ、他の芸人さんの痛風エピソードにある「痛くて歩けない。足が腫れて靴も履けない。」といった感じではなく「痛いけど歩けなくはない。靴も締めつけすぎないものなら履ける。」といった感じでした。「ここからさらに痛くなるのか?腫れるのか?」とビクビクしながら親族の家へ向かいました。親族の家に着くと小三の甥っ子から「サッカーやろうよ」と誘われ、近くのグラウンドへ。『痛風×サッカー』は、ただの拷問でした。『全員痛風のフットサル対決』なんていう、炎上しそうな企画を思いついたくらいです。夜は親族にお付き合いしてウイスキーをロックでいただきながら、「あらためまして、今年もよろしくお願いします。」とお別れ。続きをみる
- 年末ルーティンの話on 2024年12月27日 at 16:26
年末のルーティン、なにかありますか?大掃除、断捨離、年賀状書き、などなど。僕は12月に入ってから徐々に断捨離をかねた掃除をしていくくらいですかね。年賀状もきたら返す…みたいな感じです。年賀状文化も無くなっていくのかなぁ。2年くらい前の年末は何を思ったか「綺麗な身体で新年を迎えたい」という考えから、12月29日から31日までの三日断食を決行しました。三日断食は毎年どこかのタイミングでやっているんですが、2年前は年末にも思い立ってやってみたんです。断食自体は多少のツラさ以外は慣れっこなんですが、31日までやってしまったことで年越しそばを食べられないというケアレスミスを犯してしまいました。『七草粥』とか『恵方巻き』とか『年越しそば』とか、節目々々で食べる行事食みたいなものを大事にするタイプなので自分のミスに呆然としたのを覚えています。続きをみる
- クリスマスの話on 2024年12月25日 at 18:46
クリスマスは好きです。というか、12月中旬から大晦日にかけての世の中がバタバタした感じ?浮き足だった雰囲気?が好きなんです。子どもの頃は12月中旬くらいから、朝に起きると新聞の折り込み広告にあるおもちゃ屋さんのチラシを見ながら「サンタさんに何をお願いしようか…」と考えるのがルーティンでした。(最近は新聞をとっていない家庭も増えたとのことで、こういう『あるある』も廃れていくのかなぁ。そもそも、新聞広告って今はないのかしら。)吉田家の両親は僕と姉が中学生になるくらいまで、25日の朝に枕元にプレゼントを置いてくれていました。サンタクロースがいるかいないかとかではなく『クリスマスの朝に枕元にプレゼントがある』ということを大切にしてくれていたんだと思います。最も記憶に残っている誕生日プレゼントは、小学校2年生か3年生のときにもらった、映画『スタンドバイミー』のサントラです。この年に『スタンドバイミー』が公開されて親に連れられて見にいき、この時の自分には映画の良さはあまり分からなかったけど、とにかく劇中の音楽を好きになり「映画で流れてたあの曲をまた聴きたい」と親に何度も言っていました。クリスマスの朝、枕元には『スタンドバイミー』のサントラ(カセットテープ)がありました。起きてすぐにそれを見つけて興奮し、ラジカセでかけたことを昨日のように思い出します。バディ・ホリーの『エブリディ』から始まるサントラです。よかったら聴いてみてください。続きをみる
- 140字に収まらない話⑧on 2024年12月23日 at 18:26
https://www.youtube.com/live/FzLvCYzp-zQ?si=lJbXRwn8Cq9z55Q4こちらの生配信中に証拠があるとはいえ、後出しジャンケンも甚だしいうえに、自己顕示欲満載の下品な文章になりますが…。今年のM-1は準決勝後からバッテリィズが優勝すると思っていました。結果は準優勝でしたが、我ながらなかなかお笑いを見る目があるなと調子に乗っています。続きをみる
- 料理の話on 2024年12月12日 at 17:27
お料理、するんです。好きなんです。「お前は本当に生活感がない、家でなにしてんの?」とかよく言われますが、めちゃくちゃ料理しています。家で仕事してて煮詰まると、気分転換に散歩に出てスーパーに寄って食材を買って料理しています。料理中は無意識に集中するので、なんか分からないけど頭の中がスッキリするんです。料理後に仕事に取りかかると、煮詰まっていたところに別の視点が出てきて解決したりするんです。お料理、おすすめです。(書いてて思いましたけど、料理の話なので『煮詰まる』のとこ『いき詰まる』の方がいいのかしら)なんて、偉そうなことを言っていますが、野菜はカット野菜を購入したり、(麻婆豆腐とか回鍋肉とか作るときは)〇〇の素とか使ったりとめちゃくちゃ手抜きの時短です。昆布や煮干しから出汁をとったりしないし、トマトの湯むきなんて一回もやったことないです。揚げ物も油の処理が面倒なので、年に数えるほどしかやらないです。続きをみる
- 140字に収まらない話⑦on 2024年11月26日 at 17:52
コロナ禍のこと。だんだんと外食がOKになってきたころに、鬼奴から「(旦那のグランジ)大と千鳥の大悟くんと飲んでるけど、どう?」と連絡が。お店の場所を聞いて合流。大悟とは久しぶりに会う照れ臭さや自分の現状の情けなさなどを感じながらも、そんなことはどうでもいいと言わんばかりに全く変わらずに接してくれました。僕に「腹は?」と聞いてくれたので「この残ってるの食べるから大丈夫よ」と。他愛もない話や懐かしい話などで楽しい時間はすぎていき、最後に僕が残って乾いてしまった生牡蠣を食べようとしたら「吉田、それはやめとけ。さすがに俺でも食わん」と一言。この辺の視野の広さと気遣い、圧倒的な優しさを持つ本当にカッコいい人間です。この後、カラオケでグランジ大に乗せられて『芸人にまつわる曲』をWダイゴでデュエット(交互に歌った)したのはここだけの話…。続きをみる
- 140字に収まらない話⑥on 2024年11月16日 at 16:33
父の訃報を知った東京なんとか組のメンバーが、葬儀のあった日にグループLINEにメッセージをくれました。会社には報告しましたが、家族葬なので誰にも伝えずだったんです。僕のポストを見てくれたのか、長澤が先陣を切って。その後、大と福田も。この3人のメッセージがとても大人な感じの素敵な文面だったのですが、普段の彼らを知っているからか「あいつらが真面目な顔してこの文章を考えて送ってくれたのだとしたら面白すぎるだろ」と家で笑ってしまいました。その後、みのちゃんからは優しいボケメッセージ。眞栄田からは父に会ったときのエピソードも沿えて。長澤、大、福田、のメッセージは皆さんにお見せしたいのですが彼らの名誉のために僕だけのものにしておきます。あんなにちゃんとしたメッセージなのにめちゃくちゃ笑えてしまうのは、彼らが普段から本当にお笑いしかやっていないってことなんだろうなとカッコよくも思えました。自分もそうありたいです。続きをみる
- 父親の話on 2024年11月12日 at 18:47
先月の終わり頃に父親が永眠しました。Xでもポストしましたが、先日滞りなく葬儀を終えることができました。気にかけていただいていた方々、ありがとうございました。父は今年に入ってから身体の不調を訴え検査したところ、いわゆる「あなたは〇〇です。『ガーン…』」的なものと闘っておりました。父と母は姉家族と同居していたのですが、最後の数ヶ月は誰にも迷惑をかけたくないという理由から、夫婦2人だけで母の実家(清澄白河)で暮らしていました。母からはたまにLINEで現状報告などをもらって、時間があれば顔を見にいこうとしていたのですが「ありがとう、来なくていいよ」と返されたり。それでも、今年のお正月とあと春ごろに一度行ったような気がします。そして、8月の終わりくらいに母から「身体が痛いって言ってる…」といった連絡が多くなり、もう長くないかも…ということで9月の末に会いに行ってきました。その時はまだ歩けていたのですが、身体が痛すぎてじっとしていられず、痛みを紛らすためなのか数十分に一回は散歩に出てしまうような感じでした。声もかすれていて、話すのもしんどそうで。帰り際に「せっかく来てくれたのに悪いね」と言われてその日はお別れ。それでも、自分の中ではまだ『死』には直結せず、帰り道は「身体の痛みだけでもなんとかしてあげたいなぁ」と思うくらいでした。心配した姉も姪っ子たちを連れて10月中旬にサプライズで押しかけ、父も家の外まで出てきてみんなで写真を撮れるくらいには体力はあったみたいで。ただ、この数日後に母から夜に「ちょっと、危ないかも。今から病院に連れていく」と連絡がありました。その翌日の朝に病院の先生から説明があるとのことで、母に付き添って説明を聞きにいきました。そこでの先生からの説明は明言はせずとも『手の施しようがない』的な感じだったので、僕は全てを受け入れました。その後に父の病室にいって様子を見たところ、自分でも「あ、これは長くないな」と思いました。と、同時に「でも、最後に会ったのは三週間前だよな…姉が姪っ子と押しかけたのも一週間くらい前だし…この数日で…?」とびっくりしました。先生から「最後はどうしますか?おうちに帰らせてあげるか、ケア病棟のある病院にいくか。ちなみに、お父さんは『家族に迷惑はかけたくない』と仰っていました」と言われました。僕は家に連れて帰ると母が大変だなと思ったので「ケア病棟にします」と答え、先生から「では、都内のケア病棟のある病院リストをお渡しします。その中からお母さんが行きやすく、ご予算にも見合うところを選びましょう」となりました。病院が築地近辺だったので、僕は築地にランチを食べに一旦外出。ランチを食べていると、午後から合流してくれた従姉妹から連絡があり「おうちに連れて帰ってあげた方がいいんじゃない?その方が(コロナ禍以降、病院によっては子どもは面会禁止などのルールで会えない姉の子の)〇〇も会えるし、私たちも手伝うよ」との文面が。病院に戻り、母と従姉妹と到着した姉と話し家に連れて帰ることになりました。ちなみに、家に連れて帰るとしてもサポートセンターなどに連絡し、特別なベッドを運び入れるなどの手続きに一週間弱はかかるかも…と言われました。正直にいうと、僕は「一週間ももたないんじゃないか…」と思っていましたが、本当にいろんな方が迅速に動いてくれて翌々日にはベッドが運び込まれ、父も家に帰ることができました。続きをみる
- 審査の話on 2024年10月16日 at 02:13
キングオブコント、本当に毎年ハイレベルで驚かされます(どの賞レースもそうですが)。日本のお笑いってどこまで進化するんだろ。海外のお笑いもこんな感じで日々進化しているのかしら。今年のキングオブコントは『よしもと中尾班YouTube劇場』で生配信(実況配信)しながらの視聴?鑑賞?観戦?でした。大会後『審査員の好み』というワードがトレンドに上がっていましたが、僕も観ながら「このコントがこの点数か…」など、いろいろと感じることがありました。ただ「それがお笑いだし賞レースだし…」とも思っています。それでも、SNS上では一部のお笑いファンの方が納得のいかない審査・採点への疑問や不満を発散させてしまっていたりで。もちろん、お笑いへの熱や自分の推し芸人への愛からくるものなのでしょうが、行き場のない感情がネットの世界で宙ぶらりんになったり、ぶつかりあったりしていて心配しちゃいました。もう落ち着いて、何か美味しいものとか食べてくれていたらいいですね。っていうか、僕もそんな激情型のファンがほしいです。昔、『お客さんが面白かった方に札を上げる形式のバトルライブ』のオープニングで、ノブコブ吉村が「後ろの方に札は配るな!後ろでおとなしく見てるのは全部ポイズンさんのファンだぞ!」と言っていたので(笑)続きをみる
- 140字に収まらない話⑤on 2024年10月10日 at 18:44
20年くらい前にやっていたブログの話。オールドファンの方々(どんな言い方だよ)は知っているかと思いますが『毎日更新』しかも『なるべく16時台に』という自分ルールを作っていました。(僕は子どもの頃から勝手に自分ルールを作っては苦しむ人生です。生きるって難しいですね。)そんな自分ルールに苦しんでいたころ、ルミネの楽屋でピース綾部と話していて「もうブログがしんどいんだよね」と伝えました。綾部は「なに言ってんすか。もしかしたら、どこかの田舎の三つ編みの少女が吉田さんのブログが更新されるのを楽しみにしているかもしれないんですよ」と言ったんです。この言葉を聞いて、自分からやめるという選択肢はなくなりました。(ちなみに、綾部は1年後輩だけど歳は2つ上なのでうちの姉と同い年なんです。なので、心の中でお兄ちゃんみたいに慕っていました。綾部、ありがとう!)どこか遠いところで、僕のnoteを楽しみにしてくれている方がいましたら…ありがとうございます!続きをみる